吉祥寺の「歴史散策」に出かけよう。万葉歌人、将軍、太宰、みんな大好き

吉祥寺の「歴史散策」に出かけよう。万葉歌人、将軍、太宰、みんな大好き

東京23区外にもかかわらず、人気の街として名をはせる吉祥寺。いつの時代から、こんなにも人が集うようになったのでしょうか。時を遡ること1200年以上も昔。武蔵野と呼ばれていた頃から、吉祥寺の歴史ははじまっていました。吉祥寺が誕生する以前から現在までの、吉祥寺今昔物語を一挙ご紹介します。

【history①古代・中世】どこまでも続く原野は、月見の名所。

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原っぱの上に、ぽっかり浮かぶ月に魅せられて。

吉祥寺周辺の地域は「武蔵野」と呼ばれ、古くは万葉集や新古今和歌集などで歌に詠まれていました。関東平野は、山がなく樹木も少なく、見渡す限りつづく原野。その時代の日本の中心は奈良・京都なので、人里もほとんどありません。まるで砂漠の月のように、原野の月も、思わず歌に詠みたくなるほどの美しさだったんでしょうね。

【history②近世(江戸時代)】将軍家のお楽しみ、鷹狩スポット。

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家康をうならせた名水処は、今では人気のパワースポット。

井の頭公園の正式名称は、「井の頭恩賜公園」だとご存じですか? 明治時代まで宮内庁の御用林だった敷地を、東京都が賜ったので公園名に「恩賜」と付けられました。さらに時代を遡ると、江戸時代では徳川将軍家御用達の鷹狩スポットだった由緒ある場所なのです。井の頭公園内には、初代将軍・家康が愛した湧水があり、鷹狩に訪れた際によくお茶を点てていたという言い伝えから「お茶の水」と呼ばれています。今では、都内有数のパワースポットとして人気です。余談ですが、「三鷹」の地名は、将軍家の鷹狩に由来すると言われています。

▼みたかナビ
http://www.mitakanavi.com/spot/map_inokashira.html

【history③近世(江戸時代)】吉祥寺は本駒込にある!? 街が生まれた背景とは。

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明暦の大火から逃れた人たちが、荒地を開墾して拓いた街。

ときは4代将軍・家綱の時代。当時、諏訪山吉祥寺があった本郷周辺で起きた大火事(明暦の大火)で家を失った人たちが、武蔵野の地に移り住みました。その人たちが先祖代々親しんでいた吉祥寺に愛着があったことから、村を「吉祥寺」と名付けたのがはじまりです。なので、お寺は本駒込にあり、吉祥寺にはない、というわけなのです。

▼吉祥寺(文京区ホームページ)
http://www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/spot/jisha/kichijoji.html

【history④近代(明治時代)】新旧入り混じる街として成長した理由。

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吉祥寺駅の開設を、お寺が全面サポート。

新宿~立川を結ぶ甲武鉄道が1889年(明治22年)に開業した数年後、吉祥寺駅が開設されました。当初は今とは異なる場所を予定していたのですが、住人の反対にあい断念。困っていた鉄道会社に、現在の吉祥寺駅がある土地を貸し出したのが、月窓寺をはじめとするお寺でした。吉祥寺駅の駅前に、昔懐かしい風情の街並みが残っているのは、地主がお寺だからだと言います。多くの場合、人気になった街の駅前は地価が上がるので、売りに出されることがほとんど。土地は大手デベロッパーによって買い取られて大再開発がおこなわれ、駅前は大規模商業地として一新されます。吉祥寺駅周辺は異例で、お寺が地主だったため売り出されることなく、古き良きものが残り続け、今では新旧が入り交じる特有の雰囲気を持った街に成長したと言われています(俗説ですが)。

▼JR東日本「中央線の歴史」
https://www.jreast.co.jp/hachioji/chuousen/history_chu/h_01.html

【history⑤近代(大正時代)】関東大震災がきっかけで、吉祥寺への移住者急増。


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自然広がる穏やかな環境を求め、都心を離れ、吉祥寺エリアへ。

1923年(大正12年)、首都圏は未曽有の巨大地震に襲われました。関東大地震はマグニチュード7.9と推定され、死者10万5000人以上、家屋全壊が29万軒以上。都心を離れる人が相次ぎました。吉祥寺を目指して人が転居してくるだけでなく、学校も移転してきました。現首相の安倍さんの出身校である成蹊学園もそのひとつ。成蹊学園ケヤキ並木は、環境省の「残したい日本の音風景100選」にも選ばれ、140本以上の大木の欅が立ち並びます。散歩道として、住民に愛されています。

▼内閣府「防災情報 関東大震災」
http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923–kantoDAISHINSAI/
▼環境省「残したい日本の音風景100選」
http://www.env.go.jp/air/life/nihon_no_oto/

【history⑥近代(戦前)】文豪・太宰治が暮らした、隣町「三鷹」。

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当時の様子に思いを馳せる、太宰の文学散策。

1939年(昭和14年)~1948年(昭和23年)の間、太宰治は三鷹で暮らし、『走れメロス』『斜陽』などの名作を書き上げました。太宰治のファンにはたまらない、ゆかりの場所が点在。太宰治文学サロンもあり、土日祝日には太宰の足跡を巡るツアーが開催されています。太宰と愛人の入水した場所なども訪れるという、濃い内容のツアーが楽しめますよ。

▼太宰治文学サロン
http://mitaka.jpn.org/dazai/
▼みたか観光ガイド協会「太宰の足跡を巡る定例ガイド」
http://xn--u8jwb9esgob6lx35t9kyf.net/
▼みたかナビ「太宰治散歩map」
http://www.mitakanavi.com/spot/map_dazai.html

【history⑦現代(戦後)】戦後は闇市が立ち並び、人が集まる人気の街に。

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東急百貨店やパルコも進出。住みたい街人気ランキングのトップに。

吉祥寺周辺は、第二次世界大戦の空襲被害が少なかったこともあり、都心から再びたくさんの人が移り住んできました。駅前には闇市が立ち並び活気にあふれ、街はますます大きくなりました。1970年代には周辺の整備も進み、東急百貨店やパルコ、マルイなどが進出。商業施設が充実し、ターミナル駅へのアクセスもよい街として、「住みたい街人気ランキング」でトップに選ばれる街へと成長しました。

【history⑧現代(平成時代)】全国初!吉祥寺が発祥の「ムーバス」。

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市長に届いた一通の手紙からはじまった、コミュニティバスの設立。

「私は足が悪く、長距離を歩くことはできません。自転車にも乗れません。私のような者も町に出たいのです。吉祥寺の繁華街に出られるように何とか考えてください」という市長に送られてきた手紙がきっかけで、全国初のコミュニティバス「ムーバス」は誕生しました。大人も子どもも100円で乗ることができ、今では7路線9ルートが運行しています。駅から離れたお店やスポットに出かけるときにも、とても便利。吉祥寺のまち回遊が楽しめそうです。

▼ムーバス(武蔵野市ホームページ)
http://www.city.musashino.lg.jp/norimono_chuurin_chuusha/mu_bus/

【history⑨現代(平成時代)】不思議な魅力の闇市跡「ハーモニカ横丁」。

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間口の狭い店が連なる姿が、まるでハーモニカの吹き口のよう。

戦後、駅前に立ち並んでいた闇市。その闇市の風情を残しているのがハーモニカ横丁です。2000年代に入り、「ハモニカキッチン」をはじめとするモダンな飲食店が相次いでオープン。注目を集め、若い世代の人たちが訪れるようになり横丁ブームが起こりました。レトロな佇まいを残す横丁に、モダンなデザインのカフェやバーが登場し、新旧が一体となった新感覚の空間へと進化しました。吉祥寺を象徴するスポットのひとつです。

▼ハーモニカ横丁(武蔵野市観光機構)
http://musashino-kanko.com/area/kichijouji/harmonica_street/

歴史を知ると、もっと街が好きになる。

東京で歴史のある街というと、浅草や本郷などを思い浮かべがちですが、時代ごとに人に愛されてきた街だからこそ、吉祥寺周辺にもたくさんの歴史秘話があります。今度の休日はいつもと趣向をかえて、吉祥寺の歴史散策を楽しんでみてはいかがですか?


【参考文献】
『吉祥寺「ハモニカ横丁」物語』井上健一郎著
『ムーバス思想 武蔵野市の実践』土屋正忠著

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